第12回孫福賞(横田 利久)

第12回(2021年度)孫福賞受賞者

横田 利久(関西国際大学)

1. 表彰日:2021(令和3)年9月4日(土) 2021年度 第25回定期総会・研究集会

2. 場 所:神戸学院大学ポートアイランド第1キャンパス、オンライン同時配信

3.孫福賞選考規程程第7条第1項第2号(委員会 支部・地区研究会 テーマ別研究グループ等の成果又は構成会員の特に優れた実績)及び第3号(大学職員の社会的若しくは国際的評価又は認知度の向上に関わる特に優れた実績)に該当し、同規程第2条第1号 第2号及び第4号により孫福賞を授与する。

4.選考理由:

(1)委員会、支部・地区別研究会、テーマ別研究グループ等の成果又は構成会員の特に優れた実績(第7条第1項第2号)

 横田利久氏は、1997年7月、大学行政管理学会(以下JUAMという。)の学会員となりました。1998年より2001年まで理事2期、2001年から2003年まで、ならびに2005年から2007年まで常務理事2期を歴任しています。さらに、2007年9月から2009年9月までは会長(第7期)に就任し、発展期の学会の活性化に多大な貢献をしています。
 また、委員会・研究会活動では、研究・研修委員会、大学経営評価指標研究会などを中心に活躍し、永年にわたりJUAMの発展を支えてきました。
 研究・研修委員会では、1999年から2001年まで、第二代委員長として、早稲田大学および名城大学での定期総会・研究集会開催の先頭に立つと同時に、多彩な人脈を生かし、関東地区研究会の企画・実施に力を発揮され、研究・研修活動を軌道に乗せることに尽力されました。
 特に、2000年の研究集会(早稲田大学)では、シンポジウム「国立大学独法化は私学に何をもたらすのか」において、自らパネルディスカッションの司会を務め、間近に控えた国立大学の法人化が私立大学に与える影響や波及効果について、高等教育問題に精通した各パネラーとの意見交換を通じて、参加者の理解を深めるだけでなく、さまざまな問題提起を行いました。
 大学経営革新に関する研究を行い、大学の経営戦略に活用できる『大学経営評価指標』の設定・普及に努めてきた大学経営評価指標研究会において、横田氏は、2005年9月から2007年9月までの間、三代目座長として、研究会の第3期の研究テーマとして、「大学教育力向上方策の提言およびマネジメントツールの設定」を掲げました。これらの議論の中で、大学経営評価指標研究会は、横田氏のリーダーシップのもと、大学の教育力を可視化して質の保証を行うことで、良い人材輩出を行うとともに、そのマネジメントツールが大学・社会で活用されるための今後の在り方と、そのために何を変えていくべきかの提言を行いました。
 また、これと並行し、2007年6月には、「第1回 大学における教育力向上に関する調査」を実施し、324大学より回答があり、新聞紙上等でも紹介されました。本調査は、教育力を単に学力や専門教育に限定せず、『社会に認められる人材を輩出する』という視点から、国公私立大学が取り組んでいる教育力向上の実態を明らかにするものであり、その後、大手新聞社等が実施する大学調査の先駆けとして位置づけられています。
 2015年12月には顧問に就任し、その後も機会があるごとに会合に出席し、適切なアドバイスを行っています。
 2007年9月から2009年9月まで、JUAM会長(第7期)に就任し、大学行政管理学会規約運用内規の制定・施行など、同学会の管理・運営体制の基盤整備を行いました。さらに女子大学研究会の新規設置および自費出版奨励制度の制定など、研究活動の更なる支援に努めました。2008年3月には福島一政元会長を委員長に、SDプログラム検討委員会を設置しましたが、2009年度定期総会・研究集会で発表された同委員会報告は次代を担う大学職員育成のあり方について、10年経った現在においても大切な示唆を与えています。

(2)大学職員の社会的若しくは国際的評価又は認知度の向上に関わる特に優れた実績(規程第7条第1項第3号)

 横田氏は1974年に学校法人中央大学に入職し、2008年には総合企画本部・担当部長、2013年には附属横浜中学校・高等学校担当部長を歴任し、2014年3月に定年退職しました。中央大学では、新学部(総合政策学部)設置や附属校拡大・強化において中心的な役割を果たし、大規模私立大学での改革に積極的に取り組んできました。
 中央大学退職後の2014年4月には、JUAMの活動等を通じてより知ることとなった厳しい状況にありながらも頑張っている地方新興小規模大学を応援したいとの思いから、学校法人濵名学院の理事・関西国際大学事務局長に就任し、神戸山手学園・神戸山手大学との法人合併・大学統合に尽力され、2020年4月には、法人合併及び大学統合を実現しました。合併・統合後は、学校法人濵名山手学院の専務理事(法人・大学事務局長)として、新・関西国際大学の学部・学科の改組に取り組んでおり、現在に至っています。
 この間、横田氏は、大学職員の横並びと事なかれ主義、前例第一主義、教員・教授会・理事会の指示待ちと責任転嫁、職員同士の言い訳のし合いと庇い合いなどを「大学職員症候群」と呼び、それを克服し職員が自己研鑽に励み専門力量を高めることで、日本の高等教育の発展に貢献できると考え、上記のように自ら率先して大学改革に取り組んできました。
 そして、文部科学省・大学関連団体・大中小規模の国公立私立大学等での講演・論考・エッセイ等を通じて、大学職員を元気にするとともに、大学職員の社会的な認知獲得に寄与しています。
 上記のとおり横田氏は、継続的な取り組みにより、国内高等教育の発展や大学職員の地位の向上に重要な役割を果たしてきました。また、これまでの経験を活かし、地方の中小規模大学の発展・活性化にも多大な貢献をしています。
 周囲の職員を巻き込みながら実務やSDを推進し、いまなお情熱とリーダーシップをもって大学改革を推し進める横田氏は、大学職員のロールモデル的存在でもあります。これまでの記述にあるとおり、横田氏こそ孫福賞の受賞にふさわしいと考え推薦いたします。

5.孫福賞を受賞して

 ただ今、孫福賞を頂きました関西国際大学の横田でございます。御礼のご挨拶に、最初に少し孫福さんとのかかわりをお話しさせていただきます。
 私は、初代会長の孫福さんが加藤寛先生(総合政策学部長)、相磯秀夫先生(環境情報学部長)と3人でSFC(慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス)を創設された時に大変衝撃を受けました。こんなコンセプトの学部がつくれるのかと。私も前職の中央大学で、慶應に続いて日本で二番目の総合政策学部を設立する実務担当として、SFCに学びたいといろいろと勉強させていただきました。
 幸いなことに私の上司で師匠でもある高橋輝義さん(故人)は、大学行政管理学会(JUAM)発足時の世話人7人のうちのお一人で、孫福さんや初代副会長の村上義紀さん(早稲田大学)と大変親しく、私はその紹介を得て、孫福さんのところに何度かお邪魔して教えていただいたものでした。
 その後は日本私立大学連盟で、孫福さんが委員長、私が先鋒役のような形で教職員合同の「大学問題研修」の運営を委員として担ったりしているうちに、JUAMにも参加し、そこでまたご一緒させていただくこととなりました。

 孫福さんが2004年6月に突然逝去された時は本当にショックでした。これで大学職員の啓発活動や社会的認知は何年か遅れてしまうだろうと思いました。しかし、その跡を継いだ歴代執行部のもと、学会と会員のたゆまぬ活動の中で、我々大学職員の意識改革の取組みと実践、それによる社会的認知は着実に進んできたと思います。
 プリミティブなレベルではありますが、私も、いろんなところで「大学職員はもうちょっと何とかしなきゃならん。みんな前例踏襲・事なかれ主義の“大学職員症候群”に罹患してしまっている。自分もそうだ。しかしそれではもはやいかんだろう」と皆さんに訴えかけ、自らをそう鼓舞して何とかやってきました。
 JUAM創立からの二十数年間を振り返ってみますと、大学職員がそれまでの“事務員”としての存在から、教員のパートナーとして、職員が大学改革の一翼を担っていく存在になってきたのは、この15年から20年くらい。1990年代後半から、各地での大学改革の進展とともにそれを担う職員の存在がクローズアップされ始め、JUAMの活動の活発化と軌を一にして、2000年代半ば頃から全国的に教職協働が本格化したと言ってよいと思います。これも、孫福さんたちがこの学会を創ってくれたからだと思います。
 そういう孫福さんのお名前を冠した賞を頂くというのは身に余る光栄で、私自身はそんな器ではないし、ふさわしい実績を上げてもいない、と思っております。大学職員の先達の方々は皆さん「職員というものは、いくら能書きを垂れてもダメ。実践して、実現してナンボだ」と言っておられます。その通りだと思います。その言葉を自分に問い掛けたとき、確かに、いろんなことをやってはきましたが、上手くいったことよりも失敗したことの方が多かった。この顛末は”懺悔録”として、大学事務組織研究会編『大学事務職員の履歴書』に詳しく書かせていただきました。

 そういう私がなぜ今、出身地でもない関西の関西国際大学で職員をやっているか、少しお話をさせていただきます。若い頃からのFMICS(高等教育問題研究会)やその後のJUAMなどの勉強会活動、あるいは私大連の研修活動を通じ、全国を回らせていただいて気づいたことがあります。地域の小規模大学や新興大学には、外に出てもっと勉強したい、もっと他大学の人と交流したいと思いながら、なかなかそういうチャンスに恵まれない大学職員の方々が大勢おられること。東京で行われているいろんな勉強会に参加したいけれども、専任職員である自分が行ったら職場が回らない。行きたいけれども行けないんだというような話を何度も聞きました。
 それで私は、中央大学を退職したら地方小規模の大学を応援したいと思い続け、晴れて定年となった翌月の2014年4月から、兵庫県三木市にある関西国際大学(学校法人 濱名学院)で働かせていただくことになったわけであります。
覚悟はしていましたが、地方・小規模・新興大学というのは想像以上に大変です。要するに資金的、人的、社会的リソースが乏しいのです。社会で活躍している卒業生の「厚み」がなく、認知度・知名度も低い。しかし、とりわけ関西国際大学では、と言った方がいいかもしれませんが、理事長・学長は危機感もあり、やる気十分です。その意味で私にとって、前職の大学と今の大学では困難要因が全く逆です。中央大学は伝統大規模大学でしたから、それなりのリソースはありましたが、残念ながらなかなかモノゴトが決まらない。関西国際大学はトップのリーダーシップと決断力は、それこそイヤというほどあるのですが、リソースが十分ではありません。これを何とかしなければ、いうこともあり、2020年4月、地方の小規模大学同士が生き残る道として、経営難に陥っていた神戸山手学園・神戸山手大学と法人合併・大学統合したわけであります。
 それと同時にやってきたのがこのコロナ禍です。そういう二重に困難な状況での法人・大学経営だけに、毎日いろんなことがあります。けれども、おかげさまで退屈はしません。私もだいぶ齢(よわい)を重ねてきましたので、あまり暇だと呆(ぼ)けてしまうんじゃないかということもあって、退屈しなくていいと嘯(うそぶ)いている次第であります。

 さて、再び全体に目を広げてみますと、大学職員を取り巻く状況はずいぶん変わってきました。職員の社会的認知は進みましたし、SDも義務化されて、法的な位置付けも、事務を処理する存在から、業務を司る/遂行する存在になりました。知識レベルやスキルレベルも本当に上がったと思います。これにはJUAMや、私がJUAMと並行して活動してきましたFMICSのような団体、あるいは桜美林を初めとする専門の大学院の存在も大きいと思います。
 ただ、いくつか課題も出てきていると思います。一つは、個人の力は確かに上がったかもしれないが、職員組織全体としての力量としてはどうかという問いです。特に管理職とそれ以外の職員との間の断絶が大きいのではないかという指摘がさまざまなところでなされています。
 もう一つは、このコロナ禍で学生の知的、人間的、社会的成長は極めて厳しい制約を受けている中で、大学職員がどういう役割を果たせているのか。もしかしたら、大幅に縮小された実務(ジョブ)を在宅勤務等でも何とか処理できたというレベルで安心している職員が多いのではないか、もっともっと学生の学びのために、大学職員ができることがあるのではないか、でなければDX化とともに職員の在り方が問われることになるのではないか、という懸念と問いであります。これは、JUAMの20周年記念講演でもお話しいただいた筑波大学の加藤毅先生のご指摘でもあります。私はこの問題提起を重く受け止めたいと思います。

 冒頭申し上げましたように、私は栄えある孫福賞を受ける資格はとてもないと思っております。ただ、敢えて申し上げると、私は年齢を重ねて70歳になりましたが、さらにもう一働きせよと周りの方々が、JUAMの仲間たちがそう言って叱咤激励くださっている。そう受け止め、それを励みに精進するということで、謹んでお受けすることにいたしました。
あと何年頑張れるかは分かりませんが、自分としては、実は古いタイプの職員の一つの道を究めたい。私の“大学職員道”とは極めてシンプルかつプリミティブでありまして、「職員は火中の栗を拾うべし」「めげず、くさらず、へこたれず」「失敗に学び、成功に励まされる」の三つです。今回の受賞を機会に、さらに精進したいと思っています。本日は本当にありがとうございました。

<横田利久氏プロフィール>

<学歴>
1973年3月 中央大学商学部商業・貿易学科卒業

<職歴>
1974年4月 中央大学に事務職員として入職。同窓会業務担当(学員会事務局)
1976年9月 経済学部事務室教務担当、学務担当
1983年9月 経理部予算・決算・長期財政計画・補助金担当(課員、副課長)
1991年7月 新学部(総合政策学部)設置構想・申請・開設・運営業務担当(副課長、担当課長)
1997年7月 事業部事業課長(収益事業・出版事業担当)
1999年7月 研究開発機構担当課長(開設・運営業務担当)
2002年7月 経理研究所事務室長(各種講座運営、公認会計士養成担当)
2006年7月 経理部副部長、教学企画本部及びビジネススクール開設準備室兼務
2008年4月 総合企画本部発足に伴い担当副部長、法人系属・合併協議会運営室兼務
2008年7月 総合企画本部担当部長、法人系属・合併協議会運営室兼務
2009年4月 合併推進本部(担当部長待遇)、学校法人横浜山手女子学園副理事長
2009年5月 学校法人中央大学評議員(~2013年5月)
2010年10月 法人合併に伴い、中央大学横浜山手経営再生室担当部長
2013年4月 中央大学附属横浜中学校・高等学校校長付担当部長
2014年3月 中央大学職員を定年退職
2014年4月 学校法人濱名学院理事・関西国際大学事務局長(法人事務局長兼務)
2017年1月 学校法人濱名学院常務理事・関西国際大学事務局長(法人事務局長兼務)
2020年4月 学校法人濱名山手学院専務理事・関西国際大学事務局長(法人事務局長兼務)
2020年4月 関西大学大学院ガバナンス研究科非常勤講師(~2020年9月)

<大学行政管理学会での主な活動歴>
1997年7月 入会
1998年9月 理事(~1999年9月)
1999年9月 理事兼研究・研修委員会委員長(~2001年9月)
2001年9月 常務理事(~2003年9月)
2005年9月 常務理事(~2007年9月)
2005年9月 大学経営評価指標研究会座長(~2007年9月)
2005年10月 10周年記念事業委員会委員長(~2006年9月)
2006年7月 ファシリティマネジメント研究会設立発起人(全5人)
2007年9月 会長(~2009年9月)
ほか、講演活動等多数。

その他、日本私立大学連盟及び他学会等での委員、執筆、講演、研修会講師等活動多数。